2020東京オリンピックは1964東京オリンピックを乗り越える

2020東京オリンピックは、1964東京オリンピックの試練を乗り越えるものではなければならないと誰もが思っているのではないでしょうか。

そもそも1964東京オリンピックとは、こんな感じで開催されました。

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たった5カ月前に開催地が決定

1964東京オリンピックには、今考えてみれば驚くべき事実があります。

それはなんと、たった5ヶ月前に、開催地が決定したということです。

東京オリンピックの開会式は、1964年10月10日です。長年親しまれて来た体育の日は1964東京オリンピックの開会式の日でした。

しかし、1964東京オリンピックの開催が決定したのは、1964年5月26日です。

メインスタジアムはあった

もちろん建物も何もなしの状態で、5ヶ月というのは物理的不可能です。日本の場合、かつてアジア競技大会が開催され、国立競技場が既に存在していた為、1964東京オリンピックの開催が可能だったのです。

ただしその国立競技場も、1957年1月に工事がスタートして、1958年3月に竣工というたった15ヶ月の期間だったのです。それ以前その場所には、明治神宮外苑競技場があり、解体のためは、大量の爆薬が使用され、作業は24時間続いたと言います。

他の競技場はどうすればいいのか

メインスタジアムは国立競技場で満たすことができたとしても、他の競技場の問題はどう解決すればいいのでしょうか。

当時、日本の利便性のいい場所は、在日アメリカ軍に接収されていたという今とは全然違う自由性のなさがありました。

日本が1964東京オリンピックのため、競技場や選手村の用地を確保するため、アメリカ人と交渉する作業が余儀なくされたのです。

そして、現在の代々木公園あたりにあった東京ドーム約20個分程度の広さを持っているワシントンハイツが候補地としてあげられることになります。
しかしなかなかスムーズな返還交渉はまとまらないで、ようやく移転費用を全額日本が負担するという決着でまとまることになります。

話しに決着がついたのは1961年10月です。国立代々木競技場は、吊り屋根方式を採用し、大会開催まで20ヶ月の間に完成することはとうてい不可能とも言われていました。
しかし、24時間の突貫工事の結果1945年8月31日に見事完成します。

それは開会式まで残り39日という日数でした。

そして、ワシントンハイツにかつてあったアメリカ兵の宿舎827戸は、選手村施設として再利用されることになるのです。ここでもなかなか移転の話しもスムーズに済まず、選手村が開村したのは、1964年9月15日のことです。

東京オリンピックとともに東京が変わる

 

高度経済成長は、1950年代後半あたりからスタートして、1964東京オリンピックの存在がなくても、道路、地下鉄・鉄道などの都市交通の整備が課題とされ、様々な場所で工事が進行としていました。

ここへ来て1964東京オリンピックの慌ただしさは日本に必要なのかという思いもあったと言います。

なんで1964東京オリンピックは開催される必要があるのでしょうか。

一方で1960年開催のローマオリンピックを視察すれば、ローマではオリンピック開催を口実にして大々的な都市改造が行われていました。

そのとき1964東京オリンピックはただのイベントという位置付けではなく、日本が、東京が、街が変わる手段と考えるのなら、このようなイベントもありかなという思いに立った担当者もいたと言います。

日本は、東京は、街は、1964東京オリンピックとともに相乗的に進化することができます。

2020東京オリンピックでも、いま、求められていることは、2020東京オリンピックとともに街が更に魅力的な街に、機能性ある街に変わることことなのです。

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