とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子とは!家族や出身は浜松で独身?

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2016年4月からスタートしたNHKの朝の連ドラ・とと姉ちゃん!ヒロインに若手女優の高畑充希さんを抜擢し初回視聴率22.6%と驚異的な滑り出しになっており

 

物語としてはフィクションなんですが、ヒロインの小橋常子さんのモデルとなった人物は大橋鎮子さんといい実在し今後の展開も気になるところなので

 

今回はそんな大橋鎮子さんの

とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子とは!家族や出身は浜松で独身?

についてまとめてみたいと思います!

 

とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子さんとは!

とと姉ちゃん モデル

ストーリーとしては高畑充希さん演じる小橋常子亡き父に代わって母と妹たちを守っていき

 

とと=父親 の代わりの役割をつとめ

 

出身である静岡県・遠州から東京に場所を移し女性のための雑誌を作る出版社を立ちあげるという

 

とと姉ちゃん!

 

そのモデルとなったのが

とと姉ちゃん モデル

1948年に家庭向けの総合生活雑誌『暮しの手帖』を起ち上げた大橋鎭子(おおはし しずこ)さんで

 

コチラの雑誌の特徴は「衣・食・住」の生活全般をテーマとしており、実際に載る写真などには大橋鎭子さん自らモデルと務めるほど

 

何でもこなす性格でかなりのチャレンジ精神に満ち溢れた方だったようです!

とと姉ちゃん モデル

暮しの手帖では雑誌に載せるものはまず自分たちで試してみるという方針があり

 

トースターのテスト:パンを4万枚以上焼いた。

ベビーカーのテスト:100kmも走行させた。

火事のテスト;家1軒を燃やすという実験まで行なった。

 

などと最後のテストなんてかなりの規模に違いなくそれだけ自身の発行するものにプライドを持っており記事の内容に正確性を求めていました。

 

 

そのためな余計な感情が入らないように

 

暮しの手帖は創刊から今まで企業広告を一切掲載しない方針を徹底しており

 

確かに広告で特定企業からお金が発生すると悪い記事はかけず公平性が少しは損なわれるという考えからなんでしょう!

 

とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子の家族や出身は浜松?

とと姉ちゃん モデル

朝ドラ内では画像のように相楽樹さん演じる次女・小橋鞠子と杉崎花さん演じる三女・小橋美子の3姉妹という設定になっていて

 

とと姉ちゃんが2人の妹と母を支えている小橋家なんですが

 

とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子さんの家族はというと同じく3姉妹で長女の鎭子さんと筆頭に妹に晴子さん・芳子さんといて

 

ここは連ドラで忠実に再現されているようですね。

 

 

しかし、ドラマではとと姉ちゃんの設定は静岡県浜松になっておりロケも静岡県などを中心におこなわれていて

 

モデルになった大橋鎮子さんは東京生まれで父親の転勤が理由で、幼少期は北海道で育って東京に戻ってきており

 

ここは若干設定が変更になっています。

 

理由はわかりませんがもしかしたら北海道のロケでは時期的に難しかったりしたのかもしれませんし

 

TVではヒロインのお父さんが、染物工場の営業部長ということなので亡き父の仕事の成果を出版した雑誌で紹介する!みたいな展開があるのかもしれません。

 

とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子は独身だった?

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母と妹を支えるために出版の仕事を一生懸命に続けていた大橋鎮子さん!その生涯を仕事のために使ったのか

 

結婚はせず独身だったようで、子供がいなかったので設立した暮しの手帖は甥の奥さんが継いでいます。

 

なかなかすごい決断だったと思いますがそれだけ家族愛に溢れており大橋鎮子さんとしては当然の選択だったのかもしれません。

 

まとめとして

フィクションながらモデルとなった大橋鎭子さんの人生をモチーフにしているとと姉ちゃん!朝ドラの今後の展開から目が離せないですね。

 

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2 Responses to “とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子とは!家族や出身は浜松で独身?”

  1. 小野義光 より:

    私は、浜松市出身の父と母が関西(滋賀、京都、大阪等)で新婚生活している間に、長男の兄は滋賀県の彦根で昭和13年に、そして昭和18年に大阪市で次男として生まれ、太平洋戦争に戦災に追われて、昭和19年に父と母の故郷である浜松へ戻り、浜松市でも遠州灘からの艦載機による戦災に見舞われ、なんとか生き延びました。
    終戦後、私ども家族4人は浜松市北区(現在の引佐町伊井谷)で開墾をしながら農業をおこなって生活をし、兄は小中高校を卒業しました。
    父は、浜松の工業学校を卒業して染色関係の技術者として、昭和30年頃にNHK朝どらの『とと姉ちゃん』の舞台となっている浜松市の染色関係の仕事を浜松市馬込町(現在中区馬込川付近)で始めました。
    兄は、浜松市内で就職し、更に大手企業に転職して中区北部で新婚生活を開始し、私は浜松市中区の中学校、高校を卒業し、関東の大学に進学して、関西の大手企業に就職し、関東に転勤し結婚しました。
    さて、兄は、結婚して3人の子供(姉、弟、妹)をさずかり、堅実な生活をしていましたが、『とと姉ちゃんの小橋家』と同様に、兄は小学校に入学した長女と未就学の弟、妹を残して、42歳の若さで悪性腫瘍で亡くなりました。
    兄は、亡くなる1カ月前に、義姉と私に、浜松市内の馬込川付近を見たいと言い出して、3人で父母や兄弟が住んでいた、染色工業所等が林立しており染色工業の排水で黒く濁っていた馬込川を見て満足していました。
    義姉は、私の家族4人が兄に葬儀を終えて、東京方面に帰るために別れる無人駅で、約30分ほど泣き崩れていたことを鮮明に覚えています。
    私は、『とと姉ちゃん』でとと(父)が亡くなった際に「母(君子)が自失状況になったこと」と、「私の兄の妻(義姉)が感情的になって嘆き悲しんだこと」とが思いだされて、大変に感動し、涙がでました。
    義姉は、子供たちを立派に育てあげ、すでに孫もおりまして、元気に家族の幸せに努めています。
    義姉は、家族の激動を乗り越えた人として、「豊でなくても、家族が増えていくことがうれしい」と述べていることに、私も静かに感動しています。

  2. 藍上 より:

    品川区の大井6丁目で生れ育ち、一時転居したものの晩年までご近所付き合いをしていたとのこと。
    良く存じ上げているおばあさん達が近在に住んでいました。
    だから、ドラマにある、浜松も深川もとっても違和感があります。

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